unikki

隙間を埋める生活

露知れず生きている

書きたいことがなかったわけではないけど、アウトプットの作業がしんどい時期だったのかもしれない。最後のブログからもう半年近く経っていた。

TSUTAYAプレミアムに登録してから、映画は1日1本観ている。好みじゃないのもあるし、難し過ぎて解説を読むこともある。そういうときは、BGMだと思って流し続ける。途中でやめる方が気持ち悪いから。最近観たので好きだったのは『パッセンジャー』『落下の王国』『女神の見えざる手』『あゝ、荒野』とか。布教を受けたので、五月からはMCUを必死に追いかけた。難しくて半分は理解出来なかったけど、先日、完走しました。感想は一つだけ。親子丼的な、あのキスは納得いきません。劇中歌のLed ZeppelinとかAlt-JとかRAMONESとか、80年代中心の音楽は良かったな。

アカデミー賞を受賞した『ボヘミアン・ラプソディ』も観た。今まで人生でQUEENを通ってこなかったせいなのか、いまいち好みではなかった。なんでQUEEN通ってこなかったんだろう。The BeatlesCarpentersマリリン・マンソンはよく聴いてたのに。書いてて思ったけど、好きな音楽にまったく一貫性がない。

でも、メアリー・オースティンとフレディ・マーキュリーの関係性は羨ましかった。そこまで信頼できる他人の作り方をわたしは知らない。見返りを求めず、ただ相手を大事という気持ちのみで、素直に愛していたんだろうな。

仕事は、可もなく不可もなくで、惰性で続けている。何だかかんで、村長的な役割にいるので、辞めにくい。辞めてもきっとやってはいけるだろうけど、人が足りなくて首が回らなくなるのは可哀想だ。というのは、言い訳ですね。転職は面倒だけど、ここで神経すり減らしたくはないから、迷っている。どうせ来年か二年後には辞めないといけないから、ええいままよ、と思う自分と、さっさと転職して使える人間になった方が得、と思う自分が綯い交ぜになっている。何も考えたくない。考えたくはないが、路頭に迷うことはできない。わたしには猫たちを養うという大事な使命があるから。

 

真夏、祖父の命日に、子猫を拾った。

祖母宅に来ていた猫が産んだらしい。猫は多頭産むはずなのに、その子だけ連れて来たのだ。きっと、祖母が内緒でごはんあげていたのだろう。やめてほしいが、祖母は聞く耳を持たない。家に迎えれば、病院連れていったり、トイレ掃除をしたり、世話をしないといけないから、嫌なのだろう。孫であるわたしは、手放しで可愛がれる存在だったが、責任を伴う子どもである母はぞんざいに扱われた。祖母は無責任なのだ。そういうところも、嫌いだ。

祖母へのヘイトが溜まっててごめんなさい。拾った子猫は、片目飛び出していて、片目は潰れていた。ホラーだった。瞼を縫って、眼球が乾かないようにしてもらう。ウイルスが原因で、目は見えないとのことだった。まあ家は狭いし大丈夫だろうと、何だかすんなり納得してしまった。

子猫は、わたしの好きな野菜の名前をつけられた。三日ほどは夜鳴きが酷かったが、生活のリズムが一定になったのか、よく食べ、眠り、遊んだ。普通の子猫だった。虫下しの薬の影響で、お尻から虫をプラプラさせて、我が家に阿鼻叫喚を招いたけど。

彼女は、見えないなりに、耳を必死に動かし、音を見ている猫だった。とりあえず、家の中の物ひとしきりぶつかり、何となく家具の把握はしたらしい。あとは変な声で鳴く。「え”ー」と「ぃ”ー」の中間の音。言語を文章にする人間に表現するのは厳しい。

眼球も引っ込み、抜糸したが、ウイルスの影響なのか、エリザベスカラーをしていてもぶつけるのか、何度も腫れた。結局、これ以上の点眼治療を諦め、大きくなったら眼球の除去をすることになった。これは人間のエゴだが、ぶつけて眼球が潰れ、感染症になるくらいなら取ってしまった方が、安全なのだ。本当は取らないで吸収されたら一番いいのだけど。朗報なのは、もう片方の潰れた目が、少しの光ぐらいは感じると分かったこと。うれしい。潰れた片方は、癒着を起こし、覗き込むと、眼球があるべき場所にうねうねした模様がある。宇宙の銀河みたいでめちゃくちゃかっこいい。元気いっぱいの子猫に、先住猫たちからはご不満の声が上がるが、あなたたちが来たときもそうだったのよ、と宥める。

家に猫がいるTwitter住民でとても好きな人がいて、その人が猫はすごい、こんなでかい生き物を信頼して一生寝てくれたり、と言っていて「た、確かに……」と圧倒された。子猫は、呼ぶとたーーっと走ってくる。太ももを叩いて「ぴょん!」と言えば、飛び乗る。彼女の中で「ぴょん!」はジャンプの合図らしい。人間がいるときは、人間の膝で眠るのを好む。生まれたときから猫と一緒に暮らしてきたが、猫らしい猫(興味あるときしか来ないこと)がほとんどだったので、だったので、わざわざ出向いてくれる子猫は、世の中の可愛いがぎちっぎちに詰められた塊だった。徐々に大きくなり、香箱座りも上手にできるようになった。トイレも粗相はしない。ただ食い意地だけは、相変わらずすごい。

猫を迎えるときは、いつも、死ぬなら誰かいるときにしてね、看取らせてねとお願いする。そのおかげか、今まで見送った猫は、母かわたしか、どちらかがいるときに、きちんと看取らせてくれた。この子猫も、それだけは守ってほしいと願っている。

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