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隙間を埋める生活

ふさわしい朝

家から最寄りの駅まで、歩いて二十分かかる。山の上にある家から、裾野の駅まで下るのだ。行きは良い良い帰りは怖い。それでも、上り坂は、慣れるものだ。近くには一応、バス停もある。でも、都会ではないから、本数が少ない。少し歩けば、環状線を走るバスもあるのだけど、朝しか運行していないし、時間が何となく合わない。そうなれば、二十分かけて、JRを利用する方が利便がきく。

朝、と言っていいのだろうか。冬が深くなればなるほど、家を出る時間帯は、夜の暗がりに等しい。時に、懐中電灯を頼りに歩く。今は朝だっけ、夜だっけ。妙に狐につままれた気分で、とろとろと歩く。近所の、ブサイクちゃんとまあまあの悪口で呼んでいる猫に、おっ今日もいるねえと心の中で声をかける。いまいち歳なんだか、若いんだかわからん猫だ。電柱と壁の間を通る。なんか通らないとダメな気がするので。毎日のルーティン。そういうのありますよね。冬の薄暗い空を、白鷺が脚をまっすぐに伸ばし、飛んでいくのを見た。凹んだアスファルトに溜まった水が、凍っているのを見た。空がようやく明るくなってくる。朝焼けと吐いた息の白さが相まって美しくて、冷たい。オロナインを塗った指が、冷たさを含んで凍っていた。Dr.Martensに包まれた足先もなかなか冷えている。そろそろ滑り止めのスパイクを買わないとなあ。面倒だなあ。川まで来ると、体はぽっかぽかに温まっていて、というかめちゃくちゃ暑い。ダウンのジッパーを下ろして、冷気を入れれば、すぐに汗も引く。川の合鴨は寒くても、ガーガーゴーゴー鳴いていて、元気。何なら、寒中水泳までしてる。川はなかなか大きいけど、今は水不足なのか、川底が見えて、以前よりも細くなった。ちなみに、職場の最寄りの駅から職場までも十五分ほどかかるが、そこにも川がある。川というか、こっちは小川というか、細くて、小エビとか取れそうな感じ。桜に見守られるように細々と続く川だ。合鴨のいる川を進み、朝からやっているラーメン屋に一抹のときめきを感じ、それから駅に到着する。

それが毎朝の通勤コース。f:id:u__1i:20181219184024j:image

 

この記事を書いたのは、去年の11月ぐらい。

2月16日、ふと車で通ると、そのお家のポストに紙がぶら下がっていた。何となく察しがついて、用を終えた後、車を置いて、うちにいる一番年寄りの猫をコートの中に入れて、歩いて紙を見に行く。

亡くなったのは、バレンタインデーだった。眠ったまま、苦しむ事もなく静かに18歳と6か月で生涯を終えた、と書いてある。ブサイクちゃんとひどいあだ名で呼んでいたけど、腕の中の猫をぎゅっと胸に寄せた。彼女は、なぜ外に連れ出されたのだろうとキョトンとしながら、大人しく鼻を動かしている。そっかー、と呟いて来た道を戻った。

うちにいる年寄りの猫は、昨日で17歳と3ヶ月を迎える。先月から急に眼振やよろけることが多くなった。立っていても、どこかかしいでいて、キュートだけど切ない。件の眼球が飛び出た猫も、本日、摘出の手術を受ける。無事に終わって欲しい。2匹の猫を撫で、今日も家を出た。一弾と、朝焼けが美しい朝だった。


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露知れず生きている

書きたいことがなかったわけではないけど、アウトプットの作業がしんどい時期だったのかもしれない。最後のブログからもう半年近く経っていた。

TSUTAYAプレミアムに登録してから、映画は1日1本観ている。好みじゃないのもあるし、難し過ぎて解説を読むこともある。そういうときは、BGMだと思って流し続ける。途中でやめる方が気持ち悪いから。最近観たので好きだったのは『パッセンジャー』『落下の王国』『女神の見えざる手』『あゝ、荒野』とか。布教を受けたので、五月からはMCUを必死に追いかけた。難しくて半分は理解出来なかったけど、先日、完走しました。感想は一つだけ。親子丼的な、あのキスは納得いきません。劇中歌のLed ZeppelinとかAlt-JとかRAMONESとか、80年代中心の音楽は良かったな。

アカデミー賞を受賞した『ボヘミアン・ラプソディ』も観た。今まで人生でQUEENを通ってこなかったせいなのか、いまいち好みではなかった。なんでQUEEN通ってこなかったんだろう。The BeatlesCarpentersマリリン・マンソンはよく聴いてたのに。書いてて思ったけど、好きな音楽にまったく一貫性がない。

でも、メアリー・オースティンとフレディ・マーキュリーの関係性は羨ましかった。そこまで信頼できる他人の作り方をわたしは知らない。見返りを求めず、ただ相手を大事という気持ちのみで、素直に愛していたんだろうな。

仕事は、可もなく不可もなくで、惰性で続けている。何だかかんで、村長的な役割にいるので、辞めにくい。辞めてもきっとやってはいけるだろうけど、人が足りなくて首が回らなくなるのは可哀想だ。というのは、言い訳ですね。転職は面倒だけど、ここで神経すり減らしたくはないから、迷っている。どうせ来年か二年後には辞めないといけないから、ええいままよ、と思う自分と、さっさと転職して使える人間になった方が得、と思う自分が綯い交ぜになっている。何も考えたくない。考えたくはないが、路頭に迷うことはできない。わたしには猫たちを養うという大事な使命があるから。

 

真夏、祖父の命日に、子猫を拾った。

祖母宅に来ていた猫が産んだらしい。猫は多頭産むはずなのに、その子だけ連れて来たのだ。きっと、祖母が内緒でごはんあげていたのだろう。やめてほしいが、祖母は聞く耳を持たない。家に迎えれば、病院連れていったり、トイレ掃除をしたり、世話をしないといけないから、嫌なのだろう。孫であるわたしは、手放しで可愛がれる存在だったが、責任を伴う子どもである母はぞんざいに扱われた。祖母は無責任なのだ。そういうところも、嫌いだ。

祖母へのヘイトが溜まっててごめんなさい。拾った子猫は、片目飛び出していて、片目は潰れていた。ホラーだった。瞼を縫って、眼球が乾かないようにしてもらう。ウイルスが原因で、目は見えないとのことだった。まあ家は狭いし大丈夫だろうと、何だかすんなり納得してしまった。

子猫は、わたしの好きな野菜の名前をつけられた。三日ほどは夜鳴きが酷かったが、生活のリズムが一定になったのか、よく食べ、眠り、遊んだ。普通の子猫だった。虫下しの薬の影響で、お尻から虫をプラプラさせて、我が家に阿鼻叫喚を招いたけど。

彼女は、見えないなりに、耳を必死に動かし、音を見ている猫だった。とりあえず、家の中の物ひとしきりぶつかり、何となく家具の把握はしたらしい。あとは変な声で鳴く。「え”ー」と「ぃ”ー」の中間の音。言語を文章にする人間に表現するのは厳しい。

眼球も引っ込み、抜糸したが、ウイルスの影響なのか、エリザベスカラーをしていてもぶつけるのか、何度も腫れた。結局、これ以上の点眼治療を諦め、大きくなったら眼球の除去をすることになった。これは人間のエゴだが、ぶつけて眼球が潰れ、感染症になるくらいなら取ってしまった方が、安全なのだ。本当は取らないで吸収されたら一番いいのだけど。朗報なのは、もう片方の潰れた目が、少しの光ぐらいは感じると分かったこと。うれしい。潰れた片方は、癒着を起こし、覗き込むと、眼球があるべき場所にうねうねした模様がある。宇宙の銀河みたいでめちゃくちゃかっこいい。元気いっぱいの子猫に、先住猫たちからはご不満の声が上がるが、あなたたちが来たときもそうだったのよ、と宥める。

家に猫がいるTwitter住民でとても好きな人がいて、その人が猫はすごい、こんなでかい生き物を信頼して一生寝てくれたり、と言っていて「た、確かに……」と圧倒された。子猫は、呼ぶとたーーっと走ってくる。太ももを叩いて「ぴょん!」と言えば、飛び乗る。彼女の中で「ぴょん!」はジャンプの合図らしい。人間がいるときは、人間の膝で眠るのを好む。生まれたときから猫と一緒に暮らしてきたが、猫らしい猫(興味あるときしか来ないこと)がほとんどだったので、だったので、わざわざ出向いてくれる子猫は、世の中の可愛いがぎちっぎちに詰められた塊だった。徐々に大きくなり、香箱座りも上手にできるようになった。トイレも粗相はしない。ただ食い意地だけは、相変わらずすごい。

猫を迎えるときは、いつも、死ぬなら誰かいるときにしてね、看取らせてねとお願いする。そのおかげか、今まで見送った猫は、母かわたしか、どちらかがいるときに、きちんと看取らせてくれた。この子猫も、それだけは守ってほしいと願っている。

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ご自愛ください

転職して、今年で三年目に突入した。仕事は好きだ。自分にすごく合ってる。会社から評価もしてもらって、去年は賞与が上がり、今年からは給料が上がった。他部署の先輩曰く「この会社はまじで給料上がらないから。五年は給料も賞与も上がんない」らしいから、ありがたい。期待されているのは、ひしひしと感じる。反面、ちょっと面倒だけど。それでも、人間関係は良好で、上司は、わたしの好きにやらせてくれるし、困ったときだけ助け舟を出してくれる。人の助けを借りるより、全て自分でやってしまいたいわたしにとって、すごくすごくありがたい。まあきっと、一人で人の仕事までやりまくる自動仕事マシーンに水を差すことはしないだけのことだろう。みんな人に興味ないのだ。それが、わたしにとって何よりありがたかった。

二月から、新人教育をしている。わたしより二十歳ほど年上の女性。あまり、仕事は出来ない。多分、要領が悪いんだと思う。どんなに教えても覚えず、メモするだけ。そしてメモ帳が一つ二つと増えていき、今では「どこにメモしたか分かんない」と何度も同じことを聞いてくる。うーん、これは。呆れが宙返りを決めまくっていた。わたしの教え方が悪いのだと思い、新人教育を先輩に頼んでみたら、一週間で彼は「多分ね、これはポテンシャルの問題だな」と匙を投げた。ポテンシャルの問題を、わたしは解決できない。上司に助けを求めるも、珍しく「時が解決してくれる」と言った。その後に「と、思いたいよ」と苦虫を噛み潰したような顔をした。上司も気づいてはいるみたいけど、先輩の言っていたポテンシャルの問題なら、誰にもどうすることは出来ない。加えて、フォローすることがわたしの仕事のメインになっているから、自分の仕事が終わらない。例え終わっても、凡ミスをすることが増えてしまった。ストレスも溜まり、彼女にきつく言うことも多くなる。良くないのは分かっているけど、何度いっても改善すらしてくれないのは、やっぱり困る。まあ、幸いなことは、当の本人はどんなに重大なミスをしても、わたしに責められようと、どこ吹く風なこと。っょぃ。精神力の強さだけは、感心してしまう。あと、覚えの悪さも。

そうしていたら、とうとう、上司から「もう一人、入れようか」と打診がきた。嬉しい。ちゃんと見てくれてるだなと、感激した直後、上司は「多分、あの人はこれ以上はもう成長しないから」と苦笑いする。ちゃんと見てくれてるんですね、本当に。でも、もうGW明けからは半ばというか、全体的に諦めがついてきて、彼女が出来ないことはわたしがやればいいと納得出来るようになった。そうしてみると、上手くいった。彼女は要領が悪いだけで、仕事に対しては真摯だったから。上司と先輩は、わたしが休みの日のことを懸念しているけど、そのときはそのときだ。とりあえず、わたし自身に余裕が出来たことは諸手を挙げたい。

余裕が出来たと思っていたら、昨日の夜から体調を崩して、今日、仕事を休んでしまった。頭痛と吐き気が止まらない。熱もそこそこ。風邪を引くのは数年ぶり。今年初めて休んでしまったことと、上司に電話した際の「あーはいはい」みたいな冷たい態度に、少し切なくなる。具合が悪いのだから仕方ない、と割り切る。慣れないことばかりで、思いのほか、わたしの体には負担がかかっていたのだろう。ごめん。ご自愛ください、と思いながら、お昼に明太たまごとじうどんを食べた。風邪のうどんはくたくたが一番。どうかこれを見てる皆さんも、辛いときは休みましょうね。

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これは花畑(という名の脱ぎ散らかした服)にいる猫です。おわり。

ちょっとグロテスクなお話。

二リットルの水を開けた直後、ペットボトルのキャップが手から転がり落ちる。あ、と思うときにはもう遅い。猫達の手によって、あっちへコロコロ、こっちへコロコロ。最後には自分らのトイレに入れる(うちの猫達は、なぜか興奮するとおもちゃをトイレに入れるという最悪な癖がある)。水を片手に立ち尽くした。

午後、母親が親指の一部を包丁で切り落とす。想像以上に凄まじくて、骨が見えていたので、慌てて救急病院に行った。母親が処置を受けていた間、小川洋子の『薬指の標本』とギレルモ・デル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター』を思い出していた。今は『薬指の標本』が手元にないので、うろ覚えだけど、主人公の「わたし」は、以前、ソーダの工場で働いていて、そのとき事故で薬指の先っぽを切り落としてしまう。薬指の先っぽは、ソーダの壜の中で、しゅわしゅわと透明を染めた。そんな部分が頭に浮かんだ。

加えて、『シェイプ・オブ・ウォーター』は2018年のアカデミー賞に輝いた作品。話せず手話を必要とするイライザが、職場である機密機構の研究所で不思議な生物と心通わせていく内容、で合ってるはず。わたしが思い出したのは、もちろん軍の狗であるストリックランドの指。医療業務者の戯言として聞いて欲しいのですが、肉というのは案外、丈夫なもので、すぐに付けて固定すると治る場合が多い。まあ、小さな部分の話です。ストリックランドのは、骨から切断された指。それは、不思議な生物に切り落とされてしまうんだけど、すぐにくっつけてぐるぐる包帯で縛っておしまい。だから、自分の立場が危うくなっていくのと比例して、指はだんだん腐っていく。黒く変色し、腐臭が立ち込めていて、とうとう運転手に「臭いです」と言われてしまい、ストリックランドは指を身体から引き剥がす。

母親の一部は、ソーダの壜に入ることもなく、今のところは腐るわけでもない。とりあえずは。処置としては、消毒をして、くっつくのを待つ。もし、くっつかずに壊死したら、感染症に気をつけながら、骨を剥き出しのまま自然治癒に頼るしかない。どうにかくっつきますように。


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ただの一週間

1月17日(木)

機嫌が悪い。お行儀よくいようと思えば思うほど、なんでわたしが笑ってなきゃいけないんだと更にカッカしてしまう。猛省。イライラしてると、わたしは必要以上に正しさを求め、自分の正義を振りかざす。相手がどんどん消沈していくのが手に取るように分かるけど、わたしが正しいと言わせるまでやめられない。生理前になると、それが顕著に出る。なんて厄介な人間なんでしょう。猛省。

 

18日(金)

風が強い。電車が止まるんじゃないかとひやひやしたけど、頑張ってくれた。ただ、電車を一度降りれば、凄まじい爆風。その上、肌が切れるんじゃないかってぐらい冷たい。小野不由美さんの『悪霊シリーズ』の中に、首を大きな包丁で切られるというシーンがあるのを思い出した。

ひふの うえを 細い氷が走ったみたいな感じがした

思い出すんじゃなかった、と後悔しながら家路に着く。暴風に煽られた枯葉が、しばらく目の前でくるくる回ったのでちょっと本気で怖かった。

今年は本を読みたいなと、数年ぶりに読書に勤しんでいる。わからない漢字はメモして、後で電子辞書で調べて。結構たのしい。そういえば高校の頃、英語の授業で電子辞書が禁止されていたから、紙の辞書をめくっていた。ほぼ日手帳のような、あの薄い紙。1年生は黄色、2年生は青、3年生はピンク。蛍光のペンで色分けして、調べたところに線を引いていた。何度も調べたところは、代を重ねるごとに汚い色になっていって、いやいや、何度も調べてないで覚えろよ自分、と呆れたりもした。こうやって考えると、紙の辞書もちょっと欲しくなるよね。まあ持ち運びには、やっぱり電子辞書なんだけど。読み終わったのは、小川糸さんの『海へ、山へ、森へ、街へ』。何年も前に読んだ本を、もう一度、読書の練習がてら捲る。ごはんの話がいっぱいなのに、身近な話ではないせいか(ベルリンで作るうどんとかモンゴルの牛の干し肉とか出てくるから)、お腹は好かない。ただ、卵かけご飯が食べたくなる。なんでだろう。

 

19日(土)

二時間半を本屋で過ごす。人を待っていた。本屋と言いつつも、化粧品も雑貨も文具もクラフト素材もゲームソフトもおもちゃも売ってる。一番嬉しいのは、立ち読みが許されていること。もうこんなの図書館じゃん、と思いながら、色んな本を手に取る。パブにいる猫の写真集、雑誌、エドワード・ゴーリーについての本、占いの本、エッセイ漫画。普段見ないものをたくさん見た。中でも、占いの雑誌や本はまじまじと見てしまった。何せ、今年の運勢は非常に悪いらしいと言われているので。テレビでやっていた血液型×星座のランキングも最下位、有名な占い師の占いも散々な内容だった。普段は占いなんて見ないし、というか見てもすぐに忘れる。興味ないから。でも、悪い悪いと繰り返し言われれば、ひっかかるものはある。神社で引いたおみくじも、末吉で何だか良い評価とは言いがたかったし。少し暗い気持ちで占いの雑誌をめくったら、そこまで悪いことも書いていなくてホッとした。おかげでもう内容は覚えてないのだけど。たった一つの結果でこうも安心できるものかと我ながら呆れた。

 

20日(日)

映画を四本ほどみる。その内の二本にミア・ワシコウスカが出てて驚く。彼女の映画で一番好きなのは『イノセント・ガーデン』かな。内容はそれほどでもないけど。何だか似合う狡い表情をする。雰囲気に合う表情っていうんでしょうか。『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』も自由で好き。

 

21日(月)

歯医者に行く。虫歯治療をしてもらった。型をとってもらっている最中、歯科技工士さんとかは、推しの歯型とかほしいものなのかなと考える。わたしだったらいらない。

 

22日(火)

特になし。歯に違和感。

 

23日(水)

職場の健康診断の書類を書く。ここで働き出して三年目、健康診断の紙を書くのは、四回目だというのに、未だに本社名と電話番号が覚えられない。こんな従業員でごめんね、社長。会ったことないけど。

 

なんてことない一週間だった。

あと誕生日前日にヘルニアになった。うける。

細いボールペンで書いたら読みにくくなってしまった。今度は気をつける。


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好きこそ物の上手なれ、嘘の回

誕生日の金曜日、テレビをつけたら『耳をすませば』がやっていた。好きなだけじゃダメなんだ、と言う。一つの物語を書き終えた雫のセリフだ。書いた文章が未熟すぎて、書きたかったものが矛盾して。好きなだけじゃダメなんだ。雫の言葉に、ああ、そうかと納得した。

文章を書くのは好きだ。何かに残して置こうと思って、ブログを始めたのに、書く度になんか違う、これを言いたかったわけじゃない、と嫌になる。読んでて楽しくないもんね。好きなだけじゃダメなんだ。そういうことです。切ない。下手の横好きになるのは難しいね。なので、文章は程々に、嘘の絵日記と、日常の絵日記でも載せていこうと思います。Twitterに載せてたんだけど、知らない人からDM(ただの感想)きて怖くなってアカウント消した。

そういえば、耳をすませばを見てて、聖司くんが雫の教室を訪ねたとき、囃すクラスメイトの中で、そっと顔を背けた杉村くんに、身体の中がぎゅっとした。耳をすませばのキャッチコピーは「好きな人が、出来ました」。エンドロールで、杉村くんっぽい人がユウコちゃんっぽい人と一緒にいるのが見えたけど、錯覚かな。杉村くん、たかが一回の恋で折れないで、幸せになってくれよな。と、恋をしたことのない人間嫌いがエールを送ります。あーめん。f:id:u__1i:20190112172957j:image

嘘日記。幽霊さんも生理あるらしいよ

小さく狭い世界

わたしは、小さく狭い世界に生きている。

新しいことを取り入れようとせず、お気に入りの中で、ぬくぬくと沈み続けている。好きな本は繰り返し読み、好きな音楽もずっと聞き続け、好きな映画も繰り返し観る。何かを生み出すなんてことはしない。得意じゃないし。わたしの周りにあるもので、わたしの全てが完結している。

それでも、二年ほど前に転職し、こんなのやってみたら、とニートを心配してくれた母に勧められ入ったが、驚くなかれ、楽しい。初めはまったくの初心者だから、何が何だかわからず、追い詰められることもあった。大きな失敗も何度もした。それでも、それなりに日にちを重ねれば、毎日の同じようなことの繰り返しで、新しいことをするわけでもなく、小さく狭い世界を生きるわたしにとても合っている。

猫たちと、好きなものたちと、たまに苦になる仕事。それがわたしの世界。小さく、狭い。

小さな部屋でお気に入りものに囲まれ、‪美しい猫たちと日々過ごしている。写真も料理も、歌うことも飲酒も、人付き合いも苦手。たまに、少ない友人と触れ合い、野良猫に挨拶をすることもある。結局、新しいことを取り込めず、生きているし、これからも続く。そんな生活をしています。


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